【聖地巡礼】大河ドラマ「豊臣兄弟!」秀長ゆかりの地・和歌山へ|モデルコースあり

2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』。主人公となる豊臣秀長(小一郎)は、兄・秀吉の「光」を支える「影」の存在として知られていますが。でも実は、彼がその政治手腕と都市計画の才能を最も輝かせた場所こそ、ここ和歌山(紀州)でした。
戦国最強の鉄砲集団を制圧した「武の記憶」と、戦乱の荒野に平和な城下町を描いた「知の遺産」。
和歌山県内には、440年の時を超えて秀長の息吹を感じられる場所が数多く残されています。
この記事では、「豊臣兄弟ゆかりの聖地」とその巡り方を徹底解説します。
豊臣兄弟と和歌山の激動の絆
天正13年(1585年)、羽柴(豊臣)秀吉は天下統一の総仕上げとして、紀州(和歌山)への侵攻を開始しました。これが世に言う「紀州征伐」です 。
当時の紀州は、強力な鉄砲部隊を持つ「根来衆(ねごろしゅう)」や「雑賀衆(さいかしゅう)」が支配する、いわば独立国家のような状態でした 。

この激戦の実質的な指揮を執り、戦後の統治を任されたのが弟・秀長です。彼は単なる征服者ではありませんでした。荒廃した土地に「和歌山城」を築き、バラバラだった村々を「城下町」として再編し、中世的な宗教都市を近世的な都市へと生まれ変わらせたのです 。
和歌山は、秀長という「大和宰相」の手によって、現代に続く骨格を与えられた街なのです。
その証拠に、今でこそ和歌山は地方の田舎という立ち位置ですが、江戸時代には「徳川御三家」の一つ、紀州徳川家が置かれ、日本で6番目に人口が多い有数の大都市として発展していました。
知ればもっと面白くなる!豊臣兄弟と和歌山のTIPS
聖地巡礼の前に、同行者やSNSで語りたくなる「和歌山と豊臣兄弟」にまつわる豆知識をご紹介します。
「和歌山」の名付け親は、実は豊臣兄弟?
実は、秀吉・秀長が来るまで、この地に「和歌山」という地名は存在しませんでした。
もともと、和歌山城が築かれた山は「岡山(おかやま)」と呼ばれていました。

秀吉(あるいは秀長)は、古くから万葉集にも詠まれた景勝地「和歌の浦(わかのうら)」の美しさを非常に好み、そのすぐ近くにある「岡山」に城を築く際、こう考えたのです。
「和歌の浦」+「岡山」=「和歌山」
つまり、古い地名を合体させて新しい響きを作ったのです。「武力だけでなく、和歌(文化)も大切にする」という、天下人らしいブランディングが込められたネーミングと言えます。
現在も和歌山城の裏口にあたる門が「岡口門(おかぐちもん)」や、和歌山城の隣にある公園が「岡公園」と呼ばれるのは、かつての地名「岡山」の名残なのです。

さらにちなみにの話ですが、岡公園の滑り台はやばいです…


雨の日こそ「和歌山城」が映える理由
旅行の日に雨が降るとガッカリするものですが、和歌山城への聖地巡礼なら話は別です。
秀長が築いた石垣に使われている「紀州青石(緑泥片岩)」は、水に濡れると鮮やかな青緑色に発色し、艶を増します。


晴れた日は荒々しく、雨の日は幻想的に。天候によって表情を変える「秀長の石垣」は、雨の日こそ最も美しいと言われています。
なぜ秀長は「和歌山宰相」ではなく「大和宰相」なのか?
秀長は和歌山(紀伊)と奈良(大和)、和泉の計100万石を支配しましたが、通称は「大和宰相(やまとさいしょう)」です。なぜ和歌山ではなかったのでしょうか?
実は秀長にとって、大和(郡山城)は「政治の表舞台」であり、紀伊(和歌山城)は「軍事と物流の拠点」という使い分けがありました。
紀伊の豊富な木材(紀州材)は、京都や大阪の建築ラッシュを支え、後に奈良の大仏殿再建にも使われました。秀長は、和歌山の資源と地の利を最大限に活用し、豊臣政権の財布と刀を支えていたのです。
【徹底解説】ここだけは外せない!豊臣兄弟ゆかりの聖地5選
現地の空気感や、マニアックな注目ポイント。ここを知っていれば、旅の深みが変わります。
根来寺(岩出市)|国宝・大塔に刻まれた「秀長軍の弾痕」を追え
かつて寺領72万石、僧兵1万余りを擁した日本最大級の武装宗教都市、根来寺。秀吉・秀長軍10万の大軍による焼き討ちで多くの堂塔が灰になりましたが、奇跡的に生き残ったのが国宝「根来寺多宝塔(大塔)」です。


大塔は国内最大の宝塔で、中に入ることもできます。内部の写真撮影は禁止のようです。
440年前の「弾痕」を探す
高さ40mを誇る日本最大の木造多宝塔を見上げると、その美しさに圧倒されますが、目を凝らすべきは「西側の壁面や柱」です 。 そこには、無数の穴が開いています。これこそが、秀長軍が撃ち込んだ火縄銃の弾痕です。マッチロック式(種子島)の鉛弾が木をえぐった跡が、肉眼ではっきりと確認できます 。
「西側」に集中しているのは、豊臣軍が西(和泉方面)から攻め上がってきた証拠。まさにこの場所で、中世が終わった瞬間の衝撃を肌で感じてください。
ちなみに根来寺は紅葉の名所でもあります。ぜひ、秋に訪れたい場所ですね。


太田城跡・来迎寺(和歌山市)|「日本三大水攻め」の哀しき遺構
根来寺を落とした豊臣軍が次に向かったのが、雑賀衆の残党が立て籠もる太田城でした。
太田城は現在の来迎寺に本丸があったと言われています。


秀吉はここでも得意の「水攻め」を敢行。「太田城の水攻め」は備中高松城、武蔵忍城と並ぶ日本三大水攻めの一つに数えられています。
住宅街に残る「巨大堤防」の痕跡 現在、城跡は住宅街になっていますが、絶対に見逃せないのが「出水堤防跡(でみずつつみあと)」です 。


住宅の並びに突如として現れる土の盛り上がり。これは、周囲約6kmにわたって城を水没させるために築かれた堤防の一部です 。
この巨大な土木工事を短期間で成し遂げた秀長の兵站(ロジスティクス)管理能力には驚嘆するほかありません。
小山塚 来迎寺のすぐ近くにある「小山塚」は、開城後に自刃した太田左近ら53名の首塚と伝えられています 。
勝者・豊臣家の栄光だけでなく、敗れ去った者たちの哀史に触れるのも、聖地巡礼の醍醐味です。
和歌山城(和歌山市)|秀長が命じ、高虎が築いた「青石の城」


紀州平定後、秀長が統治拠点として築城を命じたのが和歌山城です。普請奉行を務めたのは、後に「築城の名手」と呼ばれる藤堂高虎。彼にとって最初期の傑作と言えます。
和歌山城の天守は、大天守と小天守が連結式に建てられ、更に天守群と2棟の櫓群が渡櫓によって連ねられた連立式と呼ばれるものです。姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられている名城です(ただし、元の和歌山城は戦災で焼失しており、現在の天守閣はコンクリート造りによる復元)。
秀長時代の「野面積み」と「青い石」 和歌山城の石垣は「石垣の博物館」と呼ばれるほど多様ですが、秀長ファンが見るべきは「緑泥片岩(りょくでいへんがん)」を使った野面積みの石垣です。


紀州特有の青みがかった石(紀州青石)を、加工せずにパズルのように積み上げた荒々しい石垣。
後の徳川時代に作られた打込ハギの石垣や、整然とした花崗岩の石垣(切込ハギの)と見比べてみてください。「戦時中の急造要塞」だった秀長時代の緊張感が伝わってきます。


「築城440年記念」の限定御城印も販売されており、コレクター必携です(販売終了してたらすみません…)。
京橋(和歌山市)|秀長がデザインした「城下町のへそ」
和歌山城の北側、市堀川に架かる「京橋」。現在は何気ない交通の要衝ですが、こここそが秀長による都市計画(グランドデザイン)の原点です 。


武士と商人を繋ぐ結節点 秀長は、橋を境に城側を「武家地」、北側を「町人地」として明確に区分けしました。
さらに近江や大和から商人を招き、城下町を活性化させました。「本町」「元寺町」といった地名や、碁盤の目状の通りには、秀長が描いた平和な商都の設計図が今も生きています 。
橋の上に立ち、彼が見ていた未来の和歌山を想像してみてください。
また、夜には「市堀川夜市」が開催されており、屋台で食事やお酒を楽しむこともできます。
高野山 奥之院 豊臣家墓所(高野町)|兄弟が静かに眠る終着点
戦いの後、秀吉と秀長は高野山を攻めるのではなく、庇護する道を選びました。その証が、聖地・奥之院にある日本最大級の「豊臣家墓所」です。


苔むす五輪塔群と兄弟の再会 一の橋から約2km、樹齢数百年の杉木立の中に、巨大な五輪塔群が現れます。
ここには秀吉、秀長、母・大政所(大萬所)、そして淀殿ほか秀吉の近しい親族が祀られています。
中央の大きな塔には、「太閤秀吉公之墓」と刻まれており、その向かって右隣が秀長の墓となっています。
徳川の世になっても破壊されることなく守られたこの場所。天下を統一し、権力の頂点を極めながらも先に逝った弟・秀長と、それを追った兄・秀吉。
ドラマで描かれるであろう兄弟の絆と葛藤の物語は、この静寂の中で幕を下ろします。


【目的別】足跡をたどる3つの聖地巡礼モデルコース
豊臣秀吉と秀長の和歌山での足跡を辿るモデルコースを3つ提案しました。
プランA:【日帰り】和歌山市内凝縮!「城下町誕生の物語」コース
歴史初心者や電車移動の方におすすめのプランです。
和歌山駅でレンタサイクル(和歌山城周辺まで約10分)を借りても便利に移動できます。
- シティサイクル:600円/日
- 電動アシスト車:1,200円/日
10:00 JR和歌山駅 出発、出水堤防跡・来迎寺へ
出水堤防跡、太田城跡・来迎寺は和歌山駅から徒歩でも行けるので、いったん駅から徒歩で往復し、その後、バスで和歌山城周辺に訪れるルートをたどります。
住宅街に潜む「出水堤防跡」と大田城跡・来迎寺の「小山塚」で、水攻めのスケールと戦国の非情さを体感 。住宅地内で車を止めるスペースもないので、徒歩か自転車の方がおすすめです。
- JR和歌山駅”東口”→徒歩約15分→出水堤防跡→徒歩約10分→来迎寺→徒歩約10分→JR和歌山駅
12:00 和歌山市中心部(京橋周辺)でランチ
JR和歌山駅からバスで和歌山城へ(「和歌山城前」または「市役所前」で下車、約10分)
秀長が整備した町割りを散策しながら、食事を楽しむ。
- おすすめの食事スポット
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- 和歌山ラーメン:「まるイ」や「山為食堂」が老舗で人気
- 市役所食堂「十四階農園」:和歌山城を目の前に臨むビュースポットでビュッフェを楽しむ。 土日祝も営業(11:00~14:00)
13:30 和歌山城(メインスポット)
大手門から入城し、秀長・高虎時代の「青石の野面積み石垣」を探して撮影しつつ、天守閣に登り、秀長が見た紀ノ川の景色を眺めましょう。


天守閣のみ、入場料が必要となります。
- 入場料
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大人 410円
小人 200円(小・中学生) - 開場時間
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9:00〜17:30(入場は17:00まで)
お子様連れなら無料で楽しめる「和歌山城公園動物園」もおすすめ
15:30 わかやま歴史館
- 城内の歴史館(「市役所前」バス停の目の前)で、江戸時代以前の豊臣期の展示物などをチェック(ただし歴史館は徳川時代の展示物が中心です)。
- お土産に「秀長築城440年記念 御城印」を購入 しましょう。
プランB:【日帰り】激戦の記憶を辿る「紀州征伐・最前線」コース
こちらのプランは戦国史ファン・車移動の方におすすめです。
10:00 根来寺(岩出市)
根来寺では、国宝・大塔の西側壁面で「鉄砲の弾痕」を見てみましょう。広大な旧境内を歩き、かつての宗教都市の大きさを実感できます 。
アクセス:
- 京奈和道「岩出根来IC」から車で約3分
- 阪和道「泉南IC」から車で約15分
13:00 岩出市〜和歌山市周辺でランチ
14:00 来迎寺・和歌山城
15:30 和歌山市立博物館
郷土・和歌山の歴史・文化遺産に関する市民の理解と認識を深め、教育・文化の発展に寄与することを目的とした歴史系博物館です。
雑賀衆関連の所蔵物として日本に3つしかない雑賀鉢のひとつ「鉄錆地雑賀鉢兜(かなさびじさいかばちかぶと)」(重要美術品に指定)や紀州の鉄砲鍛冶である早川甚之助正元が製作した「火縄銃」が所蔵されており、観覧することができます。
雑賀衆をはじめ、紀州徳川家などのゆかりの品など、本物の歴史に触れることのできる場所となっています。
プランC:【1泊2日】「戦いから祈りへ」豊臣兄弟・完全制覇コース
ドラマの世界に深く浸りたい方・泊りで訪れたい方におすすめのルートです。
【1日目】覇権への道:戦いと築城
(プランBと同じ)
- 午前:根来寺(弾痕と戦火の跡)
- 午後:太田城跡(水攻めの跡) ⇒ 和歌山城(青石の石垣と平和への転換点)
- 夜:和歌山城のライトアップを眺めながら、城下町の夜を楽しむ。
【2日目】永遠の眠り:高野山へ
朝イチに和歌山市内から高野山へ移動(車での移動がおすすめ)。
電車異動の場合、JR和歌山駅から和歌山線を利用し、橋本駅へ。
橋本駅から南海高野線極楽橋駅→ケーブルカー→高野山駅へ。高野山駅からはバス移動となります(所要時間:2時間半~3時間)。
高野山 奥之院「豊臣家墓所」
豊臣家墓所の楽しみ方を3つのポイントにまとめました。圧巻の「スケール感」で権力を感じる奥の院にある数万基の墓石の中でも、豊臣家の墓所は一段高い場所にあり、その広大さは群を抜いています。
- 五輪塔のスケールの大きさ
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天下人・秀吉の威信を象徴する巨大な石塔を見上げ、当時のパワーを感じてみてください。
参道から階段を上がっていく造りは、秀吉の「成り上がり」の歴史や、死してなお見下ろすような統治者のプライドが透けて見えます。
- 「オールスター」の顔ぶれを確認する
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ここには秀吉一人ではなく、豊臣一族が寄り添うように祀られています。墓所での主な顔ぶれは秀吉、母・大政所、弟・秀長、妻・淀殿(供養塔)など。
織田信長や明智光秀の墓所が比較的ひっそりと佇んでいるのと対照的に、一族が固まって広大な敷地を占拠している「豊臣家の一体感」に注目です。
- 「苔と静寂」の美学を味わう
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豊臣家墓所は、周囲を巨木に囲まれ、石塔の多くが美しい苔に覆われています。
密集する石塔と、木漏れ日に照らされた苔の緑は、奥の院の中でも特に神秘的なフォトスポットです。
かつて天下を極めた一族の栄華が、今は静かな森に溶け込んでいる「わびさび」を感じるのが通の楽しみ方です。
墓所には豊臣家だけでなく、様々な戦国大名の墓所があります。


| 武将・家名 | 特徴・見どころ |
|---|---|
| 織田信長 | 本能寺の変の後、供養塔として建立されました。 |
| 徳川家 (結城秀康) | 江戸時代の壮麗な石造霊屋(重要文化財)として残っています。 |
| 武田信玄・勝頼 | 親子並んで供養塔が建てられています。 |
| 上杉謙信・景勝 | 謙信の霊屋は重要文化財。かつて敵対した武田家と近い距離にあります。 |
| 伊達政宗 | 独眼竜で知られる政宗の供養塔。仙台伊達家の広大な区画にあります。 |
| 石田三成 | 処刑された三成ですが、ここには立派な五輪塔が建てられています。 |
| 明智光秀 | 織田信長を討った光秀の供養塔。何度も落雷で割れたという伝説(怨念説)があります。 |
さらには、金剛峯寺など、秀吉が寄進・再興に関わった寺院を巡って楽しみましょう。
冬の高野山は積雪します。スタッドレスタイヤやチェーンの装備が必須です。
また、平地よりも5℃ほど気温が低いので、服装にも注意しましょう。
1日目と2日目は反対にしても問題ありませんが、秀吉と秀長が眠る高野山を後にした方が余韻に浸れるのではないでしょうか?
高野山では宿坊に泊まり、精進料理を楽しんだり、歴史の余韻に浸るのもいいでしょう。
おすすめの宿泊場所
ドラマの余韻を壊さない、歴史と情緒を感じられる宿泊先をセレクトしました。
ダイワロイネットホテル和歌山(和歌山市)
- おすすめポイント
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和歌山城の真正面に位置し、客室からライトアップされた天守閣を一望できます。
秀長が築いた城を見下ろしながら眠る、贅沢な一夜を。
- MAP
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高野山 宿坊(不動院・蓮華定院など)
- おすすめポイント
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豊臣家や戦国武将とゆかりの深い宿坊が多数あります 。
精進料理をいただき、朝の勤行に参加することで、武将たちが晩年に求めた心の平穏を追体験できます。
- 高野山の宿坊一覧
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まとめ:440年の時を超える旅へ
和歌山に残る史跡は、教科書の中の出来事ではなく、生身の人間・豊臣秀長が悩み、戦い、そして未来を夢見て作り上げた「足跡」そのものです。
根来寺の弾痕に触れ、和歌山城の青い石垣を見上げ、高野山の静寂に包まれたとき、きっと大河ドラマ『豊臣兄弟!』が何倍も深く、面白く感じられるはずです。
さあ、あなたも秀長が見た景色を探しに、和歌山への聖地巡礼に出かけてみませんか?














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